空手の歴史12 -沖縄の伝統古武道 2-

沖縄伝統空手古武道

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沖縄の古武道を語る時多くは沖縄空手古武道あるいは沖縄古武道と言われ又は表記される。それは沖縄の空手と古武道は常に言われているように「沖縄の空手と古武道は不離一体の関係にある」「沖縄の空手と古武道は車の両輪のようなものだ」と表現されていることに両者の関係を推察することができる。現に、沖縄の空手家のほとんどは古武道も修行しており、どこの空手道場でも古武道の武具が備えられているほどである。

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空手の歴史11 -空手-

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「唐手」が「空手」の文字になり一般に広まっていくのはそれから24年後の1929年(昭和4年)、慶応義塾大学唐手研究会が発行した機関紙による功績が大きい。その頃の慶応義塾大学唐手研究会の師範をしていたのは船越義珍で、その機関紙でそれまで散発的に用いられてきた「空手」を般若心経の「空」の概念から「唐手」を「空手」に改めると発表したのを機に、広く一般化していった。

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空手の歴史10 -沖縄空手の「型」-

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修行を重ねた先人達はその一撃必殺の破壊力を身をもって知っているが故に「空手に先手なし」の様に闘争を強く戒めている。
しかしその掟破りの先陣を切って辻町で「掛け試し」を続けて非難を浴びた本部朝基は「体を鍛えるだけでなく実践を前提に考案されたのが「型」である、しかし「型」のみを修行していては体は作れても暴力を前にした時に対応はできない」と主張し辻町その他の実践のなかから「組手」〔彼は変手(ヒンティ)と言った〕を考案し「型」を一歩進めた実践〔暴力〕に対応した「組手」の普及に力を注いだ。

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空手の歴史9 -沖縄空手-

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沖縄空手の特徴としては、古く古伝空手の頃から、先人たちが伝え継承してきた「型」の稽古や鍛錬法を重要視し、組手の練習においては当身(直接攻撃)と掴み投げの使用を採用している。沖縄空手は沖縄古武道とも一体の面があり、多くの沖縄空手道場で古武道の棒術やサイ、ヌンチャクの修行は普通に行われている。武器術や取手術、関節術なども合わせて継承されており、総合的な武術である。ちなみに本土系のスポーツ空手では寸止めを基本ルールとしている。

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空手の歴史8 -唐手と空手の使い分け-

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1922年(大正11年)、沖縄尚武会会長であった富名腰義珍(後に船越に改名)が東京で開かれた第一回体育博覧会に招かれ、沖縄出身の一つ橋大学学生の儀間真謹氏と演武を行ったのが沖縄空手の本土へ初めての登場だったという。一方、沖縄空手を本土へ広めたもう一人の雄、本部朝基も当時大阪に在住していた。 Continue reading “空手の歴史8 -唐手と空手の使い分け-“

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沖縄空手の歴史7 -武器禁止令と沖縄空手-

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琉球王府における「武器禁止令」※琉球王府における「武器禁止令」は別称「禁武政策」とも言われているが、この章では「武器禁止令」を使用する。薩摩藩が「武器禁止令」を課す100年以上も前に時の王・尚真王によってすでに「武器禁止令」は行われている。これは中央集権国家を作り終えた権力者が、自分の国の中から己に反逆者を出さない為の政策と考えられており、あの豊臣秀吉も歴史に名高い「刀狩」を行っている。

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空手の歴史6 -沖縄空手、その歴史-

門外不出・一子相伝の沖縄空手の公開

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糸洲安恒は、当時、琉球王府の武術指南役だった松村宗棍に師事して首里手(スイティー)を学んだ。 琉球王朝時代から空手の武術家として活躍し、門外不出の秘伝として琉球の士族の間で伝わっていた唐手を学校の体育の授業として取り入れ、広く一般に普及させた功績の持ち主である。1908年に糸洲安恒が県に提出した有名な『唐手十訓』は、現代でも空手の真髄を表した名訓として尊ばれている。 また沖縄伝統の唐手の型の改良・新しい型の創作に情熱をそそぎ、生徒たちが学習しやすい「平安(ピンアン)の型」を創作、学校教育の場へと普及させた。

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空手の歴史5 -新渡戸稲造と武士道-

日本人の本質を「武士」に求めた新渡戸稲造

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彼は「武士」の時代が終わり、明治という新しい民衆の時代になり、札幌農学校生の時キリスト教に入信した。1884年、新渡戸はアメリカに渡り敬虔なキリスト教徒として活動する内にメリー・エルキントン夫人と出会い、アメリカ社会に溶け込んでいく。 当時としてはまだめずらしい日本人の彼が受ける質問はまず、「日本人とはどんな民族か」というものだったという。その問いに対して彼は、日本人の本質を「武士」に求め、あの有名な『武士道』を書きあげた。

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沖縄空手の歴史4 -日本の武士道-

戦国時代の武士道

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家柄も高く、鎧兜に身を包み、騎乗のリーダーとして「やぁやぁ、我こそは武田家の侍大将の○○○なるぞ。いざ神妙に勝負!!」と名乗りを上げている侍大将が武士道の鑑ごとき『宣戦布告』をしている最中に、しかもその『宣誓布告』が終わらないうちに「パンッ」。 名もない足軽の放った弾丸一発が、何世代も続いた武士道を生きてきた武士の鑑たる大将の煌びやかな鎧を打ち抜き、戦いの勝敗を決めてしまった。

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空手の歴史3 -武道とは-

「武道」の意味するもの

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つまり「武」の字は「戈(ほこ/矛と同義)を止める」という意味を込めて出来た文字だという。つまり戈とは攻撃する武器であり、暴力である。ということは襲い来る危険な矛や暴力を止めるのが武のことであろう。この武が体系化して武術となる。武術は技であり肉体的な世界である。この武術を過酷なまでに修錬していく過程を経て精神世界と一体化した武道へと昇華していく。つまり、武道とは文武両道を求める求道という生き様的な連続性を持った道としての意味を持っていることになる。

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