空手の歴史6 -沖縄空手、その歴史-

門外不出・一子相伝の沖縄空手の公開

糸洲安恒

糸洲安恒は、当時、琉球王府の武術指南役だった松村宗棍に師事して首里手(スイティー)を学んだ。 琉球王朝時代から空手の武術家として活躍し、門外不出の秘伝として琉球の士族の間で伝わっていた唐手を学校の体育の授業として取り入れ、広く一般に普及させた功績の持ち主である。1908年に糸洲安恒が県に提出した有名な『唐手十訓』は、現代でも空手の真髄を表した名訓として尊ばれている。 また沖縄伝統の唐手の型の改良・新しい型の創作に情熱をそそぎ、生徒たちが学習しやすい「平安(ピンアン)の型」を創作、学校教育の場へと普及させた。

糸洲の尽力によって唐手は、まず1901年(明治34年)に首里尋常小学校で、1905年(明治38年)には沖縄県立第一中学校(現・首里高校)および、沖縄県立師範学校の体育の授業として採用され、広く一般に普及していった。 糸洲安恒の孫弟子・金城裕氏によると糸洲は、口ひげをたくわえた穏やかな人、「温厚篤実な人」と周囲の人々から慕われていた。 それを裏付けるかのように、腕試しに襲ってきた数人の若者を打ち負かしたその日の夜、若者たちの無事を確認して、夕食の席に招待したというエピソードを金城裕氏は師匠から伝え聞いたという。
参考資料
− 「沖縄空手古武道辞典」(柏書房)
− 「空手道・古武道基本調査報告書」(沖縄県教育委員会文化課)
− 「沖縄伝統古武道」(文武館)
参考サイト
− ウィキペディア:http://ja.wikipedia.org/wiki/糸洲安恒