1.佐久川寛賀(唐手佐久川)-

旧姓を照屋と言ったが、後に佐久川と改めている。佐久川は中国へ留学し、琉球王府の国学者・琉球国学の教師、八重山在藩奉行の行政官等を務め、北京進貢使として5回も北京へ派遣されている。『唐手~トウディー~』佐久川と呼ばれる由来としては、佐久川が広めたとされる北京スタイルを、当時の主流であった南派小林拳と区別するために「唐手」とし、導入物という意味で「唐手佐久川」と呼んだという。

これにより、首里手は北京スタイルの、那覇手は福建スタイルの影響を受けることとなった。更に、気功や擒拿術を導入したことで、古武道の世界での地位を確立。佐久川の編み出した棒術「佐久川の棍」が有名である。

※写真は佐久川寛賀の息子。佐久川寛賀によく似ていると言われる。佐久川寛賀自身の写真は現存していない。

 

参考資料
− 「沖縄空手古武道辞典」(柏書房)
− 「沖縄空手列伝百人」(外間哲弘 著)
参考サイト
− ウィキペディア:http://ja.wikipedia.org/wiki/佐久川寛賀