3.-松村宗棍 Part.1-

episode003-1b

与那原の女武士

1600年末、ヨーロッパではナポレオンが猛威を奮っていた頃、沖縄では尚円王統第17代の尚灝王が琉球の王として権勢を取り仕切っていた。 沖縄首里の山川村、村地頭職の元に生まれた松村宗棍はのちに沖縄空手の不動の拳聖となる人物である。松村宗棍は天性の武術の才能があり、17~18歳の頃にはすでにその武名は首里城下では知らない者はいない程である。当時は唐手といわれた沖縄空手の師匠は「唐手佐久川」の弟子真壁朝顕(佐久川寛賀という説もある)、別名、真壁闘鶏小(マカベチャーン)だったといわれている。

首里城下にも噂は聞こえてきた。与那原の「嫁取りツル」の噂である。与那原の地頭代の娘ツルという15歳の嫁入り前の美女が男顔負けの剛力の女武士(イナブサー)である。唐手の達人である腕自慢の多くの男の「掛け試し」と称する立ち会いに応ずるが一度として負けたことが無い。

ついに父親の地頭代は、
「近頃の男は頼りにならない。ツルに勝った男にしか嫁にはやらない」と豪語するようになった。父親の地頭代は、このように宣伝しておけばこの与那原の田舎者と違って、首里辺りの毛並みの良い若者が網にかかってくるのではないかと思っていたかもしれない。武勇伝以外にもツルは160cmを超える女丈夫ながら、稀に見る美人だという。地頭代の娘であれば家柄も申し分ない。

前に行われていた。「掛け試し」とは武術に自信のある者が己の力量を知るためとあるいは売名行為による一発勝負の他流試合である。ツルは掛け試しの申し込みを全て受けことごとく打ち負かしたという。女性ならばその顔に傷でも付けられようものなら、取り返しのつかない一生の大事である。それを腕自慢の猛者連中の誰かれなく平然と受けなぎ倒しているという。ツルの武勇伝と噂は、やがて首里の唐手界の勇である松村宗棍の若い血潮に火を付けることになる。「いかに強いと言えども、くそ生意気なこの女の鼻っ柱をへし折ってやる」松村宗棍も若い。まだ15~17歳の頃である。 掛け試しを申し込んだ松村宗棍は十三夜の月明かりの中を馬に乗って、当時の沖縄武士(ブサー)の間でごく当たり前の掛け試しの名所である与那原の御願樹に現れた。この掛け試しの立会人となった父親の地頭代は「シメシメ、やっと大魚が引っ掛かって来たぞ」と舌舐めずりしたに違いない。
参考資料
− 「沖縄空手古武道辞典」(柏書房)
− 「空手名人列伝」(佐久田繁 著)
− 「沖縄空手列伝百人」(外間哲弘 著)
− 「空手道・古武道基本調査報告書」(沖縄県教育委員会文化課)
− 「沖縄伝統古武道」(仲本政博 著)
参考サイト
− ウィキペディア:http://ja.wikipedia.org/wiki/松村宗棍