11.-喜屋武朝徳 –

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(きゃん ちょうとく)1870年~1945年 武術家
琉球王国第二尚氏の第4代尚清王の末裔として生まれた。6歳の時から父から空手の手ほどきを受けて上京し、16歳頃までには漢学をも修め文武両道において優秀な人物であった。朝徳は小柄で体が弱かったが、父の厳しい鍛錬のおかげで体はみるみるたくましくなっていった。父以外にも糸洲安垣や松村宗棍、親泊興寛の教えも受け、人一倍苦行を重ね、‘喜屋武小(チャンミーグヮー)’といわれるほどに武才を発揮し、術をこなした。


その後、廃藩置県で士族の地位と職を失い、読谷村で養蚕をしていたが、当時尚家の役人の屋良親雲上から「北谷屋良の公相君」と称された。警察署員や教員をした後に、空手の修行や指導、演武をした。巡業では、様々な場所で演武大会を行った。小柄な朝徳の武勇を語る挿話は50代を過ぎてからの出来事である。終戦1年前の読谷飛行場建設慰問演武会では、75歳にも関わらず鎮闘の型や棒術を披露し、生涯武道を一身で示した武人である。晩年は、第二次世界大戦となり収容所での生活となるが、生涯を終えるまで拳音を響かせた人物であった。
参考資料
− 「沖縄空手古武道事典」高宮城 繁 (著), 仲本 政博 (著), 新里 勝彦 (著)
参考サイト