4.-知花朝信-

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知花家は尚質王の第5王子、東風平王子朝春を元祖とする琉球王国の首里士族の一門であり、琉球王国時代には、知花殿内(チバナドゥンチ)と呼ばれた琉球王朝の流れを汲む首里の名家であった。本部御殿手(モトブウドゥンティ)の継承者として名高い本部朝勇や本部サールこと本部朝基は遠戚にあたる。 知花朝信は、1899年(明治32年)、15歳の時に首里手の大家、糸洲安恒に沖縄空手を師事するようになった。弟子たちの言い伝えによれば、知花朝信が糸洲安恒に入門を願い出た時、なかなか入門を許してもらえず三度目にしてやっと許可されたという。それはまだ少年であった知花朝信の空手の修業に対する情熱を試す糸洲安恒の深慮であったとも言われている。

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明治以前の琉球王国時代には、首里手は一子相伝の門外不出の秘術として特に位の高い王族に近い士族の名家に代々伝えられていた。明治も後半になって広く一般に普及を始めたが、入門するにはまず入門希望者の人物としてのチェックが行われた。「決して道場外で空手を演武したり、その武術を使用したりしてはならない」等の誓約書を書かせ、尚、保証人までも必要とされていた時代なので知花朝信の三回の入門願いで許可されたことは一般的だったとも考えられる。

知花朝信は糸洲安恒に入門してから13年間、28歳まで一途に修行に打ち込み、糸洲門下での高弟となった。1918年(大正7年)、34歳となった知花朝信は、長年の夢であった道場を生家のあった首里鳥堀に開設した。1926年(大正15年)、沖縄唐手の共同研究を目的として設立された、沖縄唐手研究倶楽部に本部朝勇、花城長茂、摩文仁賢和たちとその中心的な存在となって参加、活躍した。 1933年(昭和8年)、知花は意を決して自身の空手を小林流と命名し、その開祖となり多くの弟子たちと共にその後の沖縄空手の発展・普及に大きな足跡を残すことになった。戦後間もない、1948年(昭和23年)に沖縄小林流空手道協会を結成し、その初代会長に就任した。

現在では沖縄小林流空手は、世界にその支部や道場が開設されているが、開祖・知花朝信の直弟子として、宮平勝哉、仲里周五郎、比嘉佑直、名嘉真朝増、島袋勝之、村上勝美、米沢次男などが特に有名である。
参考資料
− 「沖縄空手古武道辞典」(柏書房)
− 「沖縄伝統古武道」(文武館)
− 「空手道と琉球古武道」(村上勝美 著)
参考サイト
− ウィキペディア:http://ja.wikipedia.org/wiki/知花朝信 [ch0]